
人々・暮らし::もくじ::

:::白保の概要
■人口 (データ:平成17年度版「統計いしがき」より)
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世帯数
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総人口
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男 性
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女 性
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※前年比
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石垣市全体
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18,503戸
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45,160人
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22,543人
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22,167人
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421人増
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白 保
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673戸
(約3.6%)
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1,633人
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838人
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795人
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45人増
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■幼稚園・学校 (データ:平成17年度版「統計いしがき」より)
しらほ幼稚園(園児数:26名)
白保小学校(生徒数:109名)
白保中学校(生徒数:67名)
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■主な公共的機関等
白保駐在所 白保郵便局
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■重要な文化財
埋蔵文化財包蔵地「白保貝塚」
「白保真謝井戸周辺遺跡」
御嶽等拝所が5カ所
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:::白保の産業
【主な産業】
・農業(兼業農家が多い):サトウキビ、 葉タバコ、水稲 他
・畜産業:肉牛の飼育・放牧
・漁業
・サービス業(食堂・商店・民宿・遊漁船・土産店 他)
・建設業 ・製造加工業 他
■農畜産業の生産力 (データ:平成17年度版「統計いしがき」より)
白保は石垣島の中でも農業・畜産業が最も盛んな地域です。
石垣市全体の割合からみると、平成16・17年度サトウキビ生産量は16.1%
を占め、島内32の字の中で第一位の生産量となっています。

平成16・17年度の字別サトウキビ生産量
■-生産性の向上へ努力-白保公民館主催「産業共進会」
第一次産業に従事する住民の中から、2年に1度 優れた生産者を
表彰し、盛大に祝賀会を開催しています。
成果品の品評を行うことにより、相互の生産意欲の向上を
目的としています。
冬のサトウキビ畑
-収穫の時期を迎え花を咲かせている-
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■厳しい自然
亜熱帯性気候で常夏・常春と言われ年中美しい花々が咲き乱れている
石垣島ですが、農業従事者にとっては時に大変厳しい自然環境です。
・夏の少雨(日照り)
夏の時期は、台風の接近日以外はくる日もくる日もカンカン照りが続きます。
このため、梅雨期に雨が少なかったり、夏場に台風の接近が少ない年は
干ばつの被害が心配されます。
・2006年9月に、30年ぶりの驚異的な大型台風襲来
さまざまな点から恵みの雨でもある台風ですが・・・
2006年9月15日〜16日にかけて、台風13号が襲来し、島内全域に大変な
被害をもたらしました。
(石垣市登野城/最大瞬間風速67m・観測至上2番目に大きな規模)
農作物などを含めた八重山の被害総額は31億円以上にのぼりました。
電気や水道・電話といったライフラインは全域で一時完全にストップ、
特に白保では給水制限が何日も続き影響が長引きました。
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:::海とのかかわり
■農家の人々にとっての海(おかずとり)
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白保の海は
「育ての親」とも言われているように、
村人にとって大切な海です。
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農家の人々もまた、農作業の合間に干潮に合わせて海へ移動し、
イノー(礁池:浅瀬)やワタンジ(干潮時リーフエッジまで歩いて渡れる道)
などで魚貝や海藻を採ってきました。
その日に食べるごく少量の漁をするおかずとりです。

■ 「垣」(かち)の復元・活用
聞き取り調査によると1949年頃まで、農家の人々は垣という伝統漁法
(潮の干満を利用して魚を捕った原始的な定置漁具)
を利用し、半農半魚の暮らしをしていました。
※詳しくは 垣とは?をご覧ください。
国内に現存する「垣」は、文化財などに指定され保存されています。

「垣」復元作業/白保中学校の生徒たち
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■海にちなんだ慣習・行事/例えば「浜下り」の風景
生活の中の様々な習慣や行事にも必ず海がかかわっています。
例えば、「浜下り」
旧暦の3月3日(大潮の干潮時)に行われる行事。
この日は女性が浜へ下りて海水で身(手や足)を清めると良い、
とされています。

2006年3月31日 白保の浜下り風景
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■海人の取組み-捕りすぎない努力-
白保の海人たちは、持続的な漁業に向けて、小さな魚はもちろん
卵を持った魚も海に残す努力をしています。
詳しくはしらほサンゴ村による聞き取りレポートをご覧ください。
電灯潜り漁とサンゴ礁生態系との関わり
-白保今昔展での聞き取り調査を通じて-
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白保日曜市開催のご案内
:::白保人(さぶぴとぅ)による手作りの伝統工芸品・郷土料理
先人から伝わる手業工芸品 〜全て丹精込めて作った一点もの〜
農水産品・郷土料理
〜海、山、畑や庭から採れた自然の素材で手仕上げ、それが白保の味〜
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:::歴史・伝説/地震・大津波、白保村の再建
■明和の大津波
明和の大津波について調べると、ウィキペディア(Wikipedia)の最新記事では
下記のような解説になっています。
「八重山地震(やえやまじしん)とは、1771年4月24日(明和8年3月10日)に
発生した大地震。大津波により大きな被害を受けた。その為、年号を取って
明和の大津波とも呼ばれる。」
「震源は八重山列島近海、深さは不明。地震の規模を示すマグニチュードは7.4。
フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むために生ずる、
歪みがもとで発生した海溝型地震であった。」
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2006-11-16(木)13:03
津波の高さは一説によると、40メートルとも80メートルとも言われています。
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■壊滅的な被害〜白保村の再建について
しらほサンゴ村による聞き取り調査では下記のような言い伝えがあります。
「1771年(明和8年)の大津波により、1,500人ほどいた村人がわずか
男性21人、女性7人しか生き残らなかったと言い伝えられるほど、
白保村は壊滅的な被害を受けました。
生き残った人々は、与那岡(ユナムリ)と呼ばれる高台に避難しました。
その後、琉球王府により波照間島から強制移住させられた人々とともに、
与那岡の側に「上の村(ウィヌムラ)」が作られました。」
(しらほサンゴ村HPより)

-与那岡(ユナムリ)から-
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※続きは、しらほサンゴ村HPの
水への感謝の祈り「アラミジニンゲ」
レポートをご覧ください。
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(参考資料・データ)
平成17年度版「統計いしがき(第29号)」 沖縄県文化環境部
しらほサンゴ村
八重山毎日新聞社 八重山日報社 ウィキペディア(Wikipedia)
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:::白保の今
地元の人や旅行者、移住者、様々な人々に白保について尋ねると、
視点の数だけ、さまざまな言葉が返ってきます。
白保といえば "サンゴ礁の海" "アオサンゴ"
白保といえば "素朴な昔ながらの集落" "ふくぎ並木と赤瓦家"
白保といえば "豊年祭"
白保といえば "伝統" "芸能"
白保といえば "海人" "ハーリー"
白保といえば "うみ・そら・さんごのいいつたえ"
(作家:椎名誠さんによる映画)
白保といえば "白百合クラブ"!
そして、
白保といえば "轟川"(赤土が海へ流れ出る問題を指す)
白保といえば "カラ岳、新空港"
八重山ブーム、移住者の急増、新石垣空港工事着工という背景の中、
島には「ミニバブル」的な経済活動が目立ちはじめ、
近い未来を懸念する多くの声を受け、地元紙でも八重山の針路について
特集が組まれています。
白保の魚湧く海の源である、サンゴ礁をとりまく環境もまた、苛酷です。
白保では、開発により、地域の特色が失われないよう、様々な努力をしており、
日頃から世代間の交流〜学習活動も活発に行っています。
■八重山で初めて、持続的地域発展のための具体的な自主ルールづくり
白保魚湧く海保全協議会では、持続的地域発展のための具体的な
自主ルールづくりに取り組んでいます!(2006年11月27日現在)
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