嫁入り

20年前、私は石垣市字新川から白保に嫁いだ。
結婚式の日の事、夫は、媒酌人と雄蝶雌蝶の親戚の女の子とともに粛々と婿入りの杯を交わした。
そして、実家を出たその一歩から、私の白保生活が始まった。
実家の前に盛大に飾り付けしたオープンカーとスピーカーがやってきて、大音響で「祝い船」を流した。隣近所、通りすがりの人が大勢集まり、出発の際は多くの拍手が沸き起こった。
盛大に祝う。それが白保流だ。
白保までの道中も白保らしく、たまたま、パトロールしていた白保出身の警察官が私たちを見て、信号を止め交通整理をしてくれた。
地域思いの白保人ならである。
白保に着いた私たちは国道で車を降り、鏡持ちを先頭に列をなして歩いた。
家の門をくぐるその時、私は不思議な気持ちにさせられた。火のついたワラ束を跨がされ、その瞬間バクチクが鳴り響いたのだ。
八重山の古い風習で、花嫁とともに悪い厄が入らないようにいう儀式だ。
目に見えない物への畏敬が、この地域には残っていると、感じた。
そして、それは、白保で暮らすなかで感動として、色々な場面で感じることができた。
命を慈しむこと、人と人が繋がりあって生きること、この島が豊かなことなど数々のメッセージを伝えてくれる。
豊かさに気ずく、大事なことである。
さて、私もそろそろオバーの年なので、いろいろな人にシゥサブの暮らしを「オバーの口説き」として語っていかなければと思っている。
魚湧く海探検隊 出動!!
3月17日夜10:00。
暗闇の白保竿原の浜に、協議会のメンバー7人が集まりました。
手には懐中電灯と網を持ち、明けた18日の午前0:34 大潮の干潮にあわせて垣で漁をするためです。
南国、石垣といえども夜の海風は寒く、水も冷たく、真っ暗闇です。

懐中電灯で照らしながら、夜の海辺を進みます。
おじぃを先頭に石垣の下の潮溜まりを確かめながら垣の開口部に夕方かけた網を目指します。
網に魚がかかっていました。

網から魚をはずします。
次から次に大漁です。
捕れた魚は一匹ずつ計量します。
これから漁をするたびに漁獲量を記していけば海の状態を把握できるようになるのではと考えています。
竿原の垣で協議会はじめての漁を実施!!
3月17日(土)(旧1月28日 中潮 満潮18:02)
午後6時 白保竿原の浜に協議会の山城会長以下、6人の有志が集いました。垣での漁の準備をするためです。
昨年の垣完成から5ヶ月が経ち、石に海苔がついてきたのでそろそろ魚が捕れるだろうと漁を企画しました。
満潮時に垣の開口部を網でふさぎ、夜中の干潮時に魚を捕ろうというものです。
今回は、網漁に詳しいおじぃの指導で網を入れました。
まずは、浜と垣の南側の石垣との間に網を張ります。
台風などの影響か、北側の石垣も流され、浜との間に空間ができていました。そこで、北側にも網を張りました。
この2箇所は、浅い場所なので浜から歩いて行って張ることができます。

いよいよ深場の開口部を網で閉じます。
この時期は、ボラが入るということで、網を2重に張りました。また、大物がかかるよう網目も大きなものを選んでいます。
明日から海開きというのに水が冷たく網の設置は大変な作業でした。
本当に魚は捕れるのか!?
カラ岳すべり

3月17日(土)
しらほこどもクラブの中学3年生4人で白保集落からおよそ7kmほど北側にあるカラ岳(柄岳)に行ってきました。
白保サンゴ礁の海のすぐそばにある小高いこの山は、白保村のシンボルとも呼べるものです。
八重山古典民謡の桃里節にも唄われるこの山ですが、実は、白保人にとっては懐かしい遊びの場でもあります。40歳ぐらいまでの白保人は、子どものころカラ岳にのぼり自生している萱をかって、束ね、それにまたがり斜面を滑り降りて遊びました。
近頃は、こども達の行動範囲が狭くなり、ほとんど集落の中でしか遊ばなくなりましたが、カラ岳での萱馬すべりは、PTA行事などちょっとした遠足で出かける場所でもあります。
3月13日に中学校の卒業式も終わり、こどもクラブの中学3年生6名もクラブを後にすることとなりました。そこで、この日はしらほサンゴ村で修了式を行ったあと、最後の思い出づくりにカラ岳の萱馬すべりをすることとしました。
カラ岳の頂上からの眺めは、白保の豊かな農地の広がりやサンゴ礁の海を見渡すことが出来る素晴らしいものでした。
ただ、山頂についた途端、携帯電話を落としてしまったことに気づき、宝捜しならぬ携帯探し大会となってしまいましたが楽しく過ごすことが出来ました。
修了した6名の中学生たち。これからも後輩達をまとめるリーダーとしてこどもクラブを支えてくれることになりました。

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